宮崎知子[34] 贈答品販売の「北陸企画」経営者。 冤罪被害者・KH[28] 「北陸企画」の共同経営者。
[ ]内の数値は誘拐事件当時の1980年時点での年齢
長岡陽子さん[18]富山県八尾町の県立八尾高校3年。 寺沢由美子さん[20]長野信用金庫職員。
[ ]内の数値は死亡時の年齢
富山・長野連続女性誘拐殺人事件 宮崎知子履歴 | |
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1946/02/14 [s21] |
宮崎知子、上新川郡月岡村(現在は富山市に編入)で生誕。2人の兄と姉1人がいたが、宮崎だけ父親は違った。
前夫に先立たれ未亡人となった母親が出産したもので、父親から認知されたの13歳の時だった。
父親は知子を溺愛したが、母親は兄2人のみに愛情を注ぎ彼女には見向きもしなかったらしい。 両親は自転車屋を始めたが、生活保護を受けていた。宮崎は中学ぐらいまで成績もトップクラスだったが、 どちらかと言えば目立たない生徒だったという。 |
1946/02/14 [s21] |
知子は頃からヒステリー性で、癲癇様の発作をたまに起こし、口から泡を吹いて失神することがあった。
性格は内向的で親しい友人もなかったが、成績はつねにトップクラスであったという。
また虚言癖はこのころから表れはじめている。
東京の私立大学を受験し合格するが、学費の工面がつかず進学を断念させられた。 地元の保険会社に勤めた。 |
1965/ [s40] | 東京に憧れて家出。化粧品会社に就職した。 |
1969/ [s44] | そこで4歳上の自動車セールスマンと知り合い結婚した。埼玉に住み始めた。 やがて長男が誕生するが、夫の転職に伴い、夫婦仲は冷めるようになった。結局、夫妻は離婚した。 |
1972/ [s47] | 卵巣嚢腫になり、卵巣摘出手術を受ける。 その闘病中に夫が浮気し、さらに彼が会社の金を使い込んでいたことが発覚したため、離婚せざるを得なくなった。 |
1973/ [s48] |
失意のうちに故郷・富山市に戻って両親と息子の4人で暮らし始めた。
重ねて腹壁ヘルニアにかかり、再手術を受けることになる。
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1975/ [s50] |
宮崎の父親が亡くなり、宮崎は一家の生活費を稼がなければならなかうなった。
老母と子供をかかえ、生活保護を受給しながら知子は暮らすようになった。
再婚が目的で通っていた結婚相談所だったが、もはや再婚などどうでもよくなり、 結婚相談所で金のある男を探し、紹介された相手に売春まがいの真似をして小遣いを稼ぐようになる。 コールガールの仕事をするようにもなった。 |
1977/09 [s52] | コールガール仲間からKHという男を紹介された。KHは宮崎より6歳下でハンサムな男だった。 2人の仲は急速に縮まったが、KHは既婚者だった。ほどなく2人は同棲を始めた。 |
1978 [s53] | 宮崎はKHと共同で「北陸企画」という店を経営。 商売をしていたら、KHと一緒にいても不倫とは気づかれにくいから、というのがその理由だった。 業務内容は100円ライターやマッチなどのギフト品の販売で、どちらかと言えばKHより宮崎の方が積極的に営業して回った。 しかし、「北陸企画」はすぐに行き詰まり、借金返済に苦しむようになった。 |
1979春頃 [s54] | 宮崎は保険金殺人を思いつき、結婚相談所で知り合った男性に保険を薦めて、自身がその受取人となった。 そして市内の海岸に連れて行き、麻酔薬をかがせたが、頭が痛いといって、眠らなかった。殺害は未遂に終わった。 |
1980 [s55] | この頃、2人は商売をなげており、朝からぶらぶらと遊んで暮らすようになった。 そして借金をして赤いフェアレディ280Zを購入した。 しかし、実際には宮崎は経済的にかなり追い詰められていた。「誘拐」を考え始めたのもその頃だった。 |
1980/02/23 [s55] | 富山県八尾町の県立八尾高校3年・長岡陽子(18歳)さんが行方不明となった。 友人と進学予定だった金沢市の調理師専門学校の下見に行った帰りの出来事だった。 |
1980/02/24 [s55] | 翌日陽子さんから「ギフト会社にいるから心配しないでいい」という電話が自宅に入った。 しかし、25日になって知らない女の声で「娘さんを預かっている。そのことで相談したい」という電話があった。 |
1980/02/26 [s55] | 陽子さんの母親は警官と一緒に陽子さんが電話でが話していた富山市内のギフト会社を訪ねたが、 そこにいた女は「そんな子は知らない」と否定した。 3月、岐阜県古川町の雑木林で陽子さんの遺体が見つかった。首には花結びにされた紐が巻き付いていた。 |
1980/03/05 [s55] | 3月5日、長野信用金庫職員・寺沢由美子(20歳)さんが仕事から帰宅する途中、こつぜんと姿を消した。 |
1980/03/05 [s55] | 翌6日夕方、由美子さんの自宅に女の声で「お嬢さんを預かっている。明日10時までに3000万円を姉に持たせて長野駅まで 持ってくるように」という電話が入り、家族が家に10万円ほどしかないことを伝えると電話は切れた。 翌7日午後12時23分、再び女から電話があった。今度は「2時までに2000万円用意して長野駅に来なさい」というもので、 姉が長野駅に向かうと「4時38分発のあさま16号に乗って高崎駅で降りよ」と指示された。受け渡し場所は高崎駅前の喫茶店だったが、犯人は現れず、電話を途絶えた。 |
1980/03/27 [s55] | 3月27日、由美子さんが行方不明のまま、警察は公開捜査に踏み切る。 この富山、長野の両県警は2つの事件の手口が似ていることから、同一犯による犯行と断定。さらに2つの事件の犯行現場では、 ともに眼鏡をかけた女と赤いフェアレディZが目撃されてた。 3月30日、富山市のギフト会社経営・宮崎知子(当時34歳)と、その愛人のKH(当時28歳)が逮捕された。 宮崎とKは由美子さんいなくなった前後に長野市内のホテルに3泊していたことや、フェアレディZに乗っていた女に酷似したことから マークされていた。そして声紋鑑定の結果、宮崎の声と身代金要求電話の声が一致。 4月2日午後、長野県小県郡青木村の林道わきに女性の遺体があるのをを通りかかった男性が見つけた。 遺体は由美子さんのもので、失踪当日のままの服装で頭を谷に向けて倒れていた。 首には紐が巻きついており、やはり花結びにされていた。 |
1980/03 [s55] | 警察は富山・長野両県にまたがる連続誘拐・殺人事件として「広域重要111号」に指定し大掛かりな捜査を展開。 やがて、誘拐された付近の目撃者の証言で「フェアレディZに乗った大きなサングラス(トンボメガネ)の綺麗な女性」が クローズアップされた。 |
1980/03/30 [s55] | 捜査本部が近県の「フェアレディZ」を所有している女性を調査した結果、富山・富山市で贈答品販売店を営む宮崎知子(34)と 共同出資者の北野宏(28)を犯人と断定し3月30日21:00に逮捕した。 |
1980/05/13 [s55] | 富山地裁、初公判。 逮捕前後の2人の供述などを証拠として、検察は2人を身代金目的誘拐罪と殺人罪などで起訴。 1980年5月13日 富山地裁で初公判。検察側は冒頭陳述で「富山・長野の両事件とも、両被告が身代金目的の誘拐を事前共謀し、 誘拐を宮崎、殺害はKH、死体遺棄は両被告が実行した」とし、「KHが犯行を主導し宮崎が従った」と主張した。罪状認否で宮崎は誘拐を否認。 KHは「宮崎から政治資金絡みで金が入ると聞かされていただけ。誘拐殺人などは全く知らない」として無罪を主張した。 |
1985/03/06 [s60] | 1985年3月6日 約5年間の審理によって、富山事件の発生時にKHが自宅にいたこと、長野事件の殺害の実行の際はホテルで待機しており、 アリバイが存在したこと――が判明したことから、検察側は冒頭陳述の内容を18か所にわたって変更。 「両被告は事前共謀をしたが、誘拐、殺害、死体遺棄、身代金要求の実行行為はすべて宮崎が行った」としてこれまでの主張の構図を 一転させ、「主導者は宮崎でKHは共謀共同正犯」とした。 |
1986/ [s61] | みたび病に倒れ、子宮筋腫で刑務所内で手術を受けた。 |
1987/04/30 [s62] | 1987年4月30日 検察は論告で宮崎に死刑、KHに無期懲役を求刑。 宮崎は「富山事件はKHの単独犯行。長野事件では誘拐、死体遺棄、身代金要求は行ったが、殺害はKHが1人でやった」とKH主導説を主張。 一方、KHは「宮崎は7年間嘘をつき通し、私に罪をなすりつけてきた。私が無期懲役を求刑されたのも全て宮崎の嘘が原因」と宮崎単独犯説を述べ、 これまでどおり自身の無罪を主張した。 |
1988/02/09 [s63] | 1988年2月9日 判決公判。富山地裁、宮崎知子に死刑を宣告。 宮崎は死刑。一方、KHについては、富山事件で誘拐、殺害の前後に両被告が頻繁に電話連絡したり、 長野事件で身代金受け渡し現場に両被告が一緒にやって来たことについて「宮崎から嘘のもうけ話を聞かされて事件を全く気づかなかった」 とするKHの証言を真実性が高いと判断。 実行行為も共謀も行っていないとして、KHに無罪を言い渡す。検察はKHについて控訴。宮崎は自身について控訴。 |
1992/03/31 [h04] | 名古屋高裁金沢支部が検察と宮崎の控訴を棄却。宮崎は上告。検察は上告せず、KHの無罪確定。 |
1998/09/04 [h10] | 最高裁で上告棄却。宮崎知子の死刑確定。宮崎は女性死刑囚としては連合赤軍事件の永田洋子以来で、戦後7人目。 再審請求。 |
2006/12/25 [h18] |
藤波芳夫死刑囚、東京拘置所にて死刑執行。
宮崎知子は獄中結婚して藤波知子となったが・・・、2009年?に宮崎姓に戻ったらしい。
宮崎知子の獄中結婚 |
2007/03/23 [h19] | 2007年3月23日 富山地裁が再審請求を棄却。 |
2011/07/ [h23] | 7月 最高裁が特別抗告を棄却。弁護側は同年8月15日、富山地裁に2回目の再審請求。 |
2013/02/25 [h25] |
富山地裁(田中聖浩裁判長)、2回目の再審請求を棄却。
弁護側は3月1日に名古屋高裁金沢支部に即時抗告。
2回目の再審請求を棄却 富山地裁/弁護側 即時抗告 -午後のアダージォ |
2014/03/21 [h26] |
富山地裁に3回目の再審請求。
連続誘拐殺人事件 宮崎知子死刑囚 3回目の再審請求 -午後のアダージォ |
2016/02/18 [h28] |
富山地裁に4回目の再審請求。
宮崎知子死刑囚 4度目再審請求 -午後のアダージォ |
2017/03/23 [h29] |
富山地裁、「証拠の新規性や明白性がない」として最新請求を棄却。弁護人は、決定を不服として、27日、名古屋高等裁判所金沢支部に即時抗告した。
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富山・長野連続女性誘拐殺人事件 - Wikipedia
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