「8人は容疑を認めているのか」「回答を控えたい」「殺害方法は誰が考えたのか」「答えられない」 県警が先月26日に開いた栗山裕さん(阿見町廻戸、当時67歳)殺害事件の記者会見。栗山さんの妻、澄江(75)、主犯格とみられる三上静男(57)、後藤良次(48)、服役中の配下の暴力団関係者ら8容疑者の逮捕を発表し、全容解明への自信を示すはずの場で、捜査のトップに立つ相田光昌・刑事部長は報道陣の質問に「回答留保」を連発した。 理由の一端を部長が会見で明かしている。「物的証拠がない」。2000年8月の殺害と死体遺棄から6年半もの年月が経過し、県警は普通の殺人事件では立証の決め手となる物証をほとんど入手できなかった。 そうした特異性を突き破り、逮捕にこぎ着けられたのは、地道な事実確認と、それをもとに複数の容疑者から殺害を認める供述を引き出せたからだった。 ただ、完全な立証には新たに具体的な供述を獲得していく必要がある。一層難しくなる取り調べを見越し、相田部長の口は堅くならざるをえなかったのだ。 ◇ 「(澄江容疑者ら)家族も納得のうえで栗山さんに無理やりウオツカを飲ませ、病死に見せかけて殺し、遺体を捨てた」。後藤容疑者が05年10月、県警に提出した上申書が事件の幕開けだった。後藤容疑者は別に二つの殺人・死体遺棄事件を告白した。どれも県警が初めて知る話だった。 元暴力団幹部の後藤容疑者は殺人などの罪に問われ、1、2審で死刑判決を受け、上告中の身。そんな男の拘置所からの告白に県警内部では「死刑延期のためのざれ言」「作り話にしては中身が詳しく、リアルすぎる」と見方は様々だった。 ただ、手を付けないわけにはいかない。まず、事件化に必須の条件、殺された人物が実在するかどうかの調査から始めた。 県警は当初、「生き埋め事件は遺体さえ出れば我々も動ける」と捜査着手に最も近いとにらんだ。男性も実在していた。 ところが男性は20年以上も前に周囲に、一切の消息を断っていたことが判明。1999年時点での生存が怪しくなった。また、「焼却事件」は、「大塚」なる男性が実在するか、最初から不明だった。 残ったのが「ウオツカ事件」。「栗山裕さん」は実在し、上申書通り、00年8月に死亡していた。とはいえ、「もはや火葬に付されていては解剖もできない。死因が分からないのでは殺害の証明もできない」と消極論も強かった。 それを覆したのは供述だった。捜査員は上申書に登場する暴力団関係者らに会うため、刑務所に足を運んだ。すると、関与した人間しか知らないはずの「ウオツカ」という言葉を口にする者がいた。 「後藤(容疑者)さんに『最近栗山さんを見ませんね』と尋ねると、『もう、いないよ』と言われた。『ああ、消されたんだ』と思った」とも聞いた。こうした報告に、県警幹部らは「ウオツカ事件は本当だ」との心証を深めていった。 同時にウオツカ事件だけが持つ、ある重大な特異性にも気づかされた。それは「警察自身も事件の関係者に含まれている」という事実だった。 栗山さんの遺体は七会村(現城里町)の山林で見つかった。当時、県警は解剖をせず、病死と判断した。 「事件性なし」とされたおかげで、澄江容疑者らに保険金が転がり込んだ。知らないうちに警察は保険金殺人の片棒を担がされていたわけだ。 「ウオツカは必ずやらなくてはいけない事件だ」。上申書提出から半月後、県警の決意は揺るぎないものになり、威信をかけた執念の捜査が始まった。 上申書3事件 栗山さんの家族3人と実行犯5人が栗山さん殺害容疑で逮捕された「ウオツカ事件」のほか、後藤容疑者が告白した〈1〉1999年11月、金銭トラブルで絞殺された「大塚」という男性の遺体を石岡市内の焼却炉で焼いたとする死体遺棄〈2〉さいたま市内に土地を所有する男性を同月ごろ拉致し、北茨城市内に生き埋めにしたとする殺人、の2事件。企画・連載 : 茨城 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
(「新潮45」編集部が動かなければ闇に葬られたかもしれない)
凶悪―ある死刑囚の告発 (新潮文庫)