ある詐欺師の生い立ち
父親は第三國人であったが、戦後のどくさくのなかで、(違法か合法か定かではないが)
雇い主の日本国籍を手に入れ、弱小信組の理事長にのぼりつめたがそうだ。
後に極悪詐欺師として悪名を轟かせることになる理事長の長男が、大学卒業後、数年して入組するに際しては、
並み居る理事諸氏の反対を押し切り、鶴の一声で、採用後ただちに「理事」とした。
結果、極悪詐欺師は弱小信組の理事として社会人のスタートを切ることになった。
(信組とはいえ、理事長の乱心というか、まともな金融機関にあっては考えられないことである)
その後、ご乱心の理事長の放漫経営がたたり、必然的に崩壊。大手信組に吸収されることになった。
当然、理事長は経営責任を問われ、財産を没収されそうになったが・・・、
資産を現金化して海外に逃亡し・・・、逃亡先の韓国でついに寿命が尽きた。
海外逃亡者の資産は国家に返還すべき性質のものではないかと思うのだが・・・、
日本にいる実子(姉弟)の間で、醜い遺産争奪合戦がおこなわれたようだ。
崩壊した弱小信組が大手に吸収されるに際しては、極悪詐欺師は、
実務経験のまったくない無能な理事の一人としてリストラされることになった。
弱小信組の理事職を失った後、御学友の司法書士の勧めもあってか、
宅建免許をとって不動産業をはじめたがふるわず、金貸しのほうが儲かるということを知った。
もともとの性なのか、宅建業を表看板にして、次第にあくどさに
磨きをかけ、闇金も顔負けなほどに悪辣な裏稼業に励んできたそうな。
在日の極悪詐欺師
極悪詐欺師の半生